神戸に生まれ育った堀尾貞治さんは、今年 75 歳を迎えながらも年間 100 以上の展覧会をこなす、エネルギッシュな現代美術作家。1985年に始めた〈色塗り〉、すなわち毎朝 1 色をオブジェに塗る行為は、一日も欠くこ となく現在にまで続く。そのエネルギーと信念は一体どこから湧くのであろうか 。個展「 あたりまえのこと〈今〉」に際し、お話を伺った 。
――まず、「あたりまえのこと〈今〉」展とはどのような展覧会ですか?
堀尾 僕くらい年取ると、今までの自分のスタイルを展覧会にするんだけれど、僕はそういうスタイルを持たないんです。そういうの一切ちゃらにして展覧会しようと。 テーマの「あたりまえのこと」とは「空気」 ということなんですわ。 歳の頃に、新興宗教の教祖さんに会って、「神なんかおるか!」 言うて。ほんなら「見えない神はいないと言 うなら、見えない空気もないだろう。鼻と口 をふさいで、そこに1時間寝てろ」って。僕 は「そんなん死んでしまいます!」言うて(笑) それが心に突き刺さって、何日も寝転んで、のたうち回ってたんだけど、ふと、「こいつを自分の生涯のテーマにしよう」と。それがこの「あたりまえのこと」というテーマです。
――「あたりまえのこと」( =「空気」) を表現するために「色塗り」
という手法をとったのはどうしてですか?
堀尾 「空気」というのは見えませんやんか。「色塗り」というのは「空気」を見えるように するひとつの手続きです。それを 年、1日も欠かさんとやってきてるわけ。人間が朝起きて、飯食うように、欠かせないこと。「色塗り」なんか誰にでもできますやんか。 そこで何が大事か言うたら哲学ですねん。哲学の根本は「生きるか、死ぬか」。「『空気』を見せる」という思い。その思いでやってるうちにみんなついてきたわけや。
堀尾 貞治 | ほりお さだはる
1939年、神戸市兵庫区に生まれる。家庭の事情により、中学卒業後に就職するが、仕事の傍ら意欲的に創作に励む。1966年、具体美術協会の会員となり、1972年の解散まで在籍した。
個展「あたりまえのこと〈今〉」
(BBプラザ美術館、2014 年 3月21日~ 6月1日)では、毎朝1色を塗り重ねてきた オブジェが壁一面に展示されたほか、パフォーマンス も披露された。

ARTIST INTERVIEW
現代美術家 堀尾 貞治

「あたりまえのこと」と「ほんまのこと」




――「あたりまえのこと」を可視化するということは、普段意識しないものに
意識を向けるということですか?
堀尾 いや、逆に、意識しない。せやけど、僕が意識しなければしないほど、周りの人は意識するんです。「『あたりまえ』ってなんや、なんや 」言うて。「なんやこれ、しょうもない!」って言うんだけれど、自分もあんなことできるかっていうと、できない。それをやったやつは勇気がある。それが芸術ですよ。
――堀尾さんは制作だけでなく、東門画廊 ( 1979‐1985年 )の主宰もされていました。
東門画廊で印象深かった展覧会はありますか?
堀尾 僕の哲学で、具象の絵はシャットアウトしていたんだけれど、ある女性が具象の絵を持ってきた。断っても、熱心にまた来るんや。「そこまで熱心ならやれ」って。その人の心意気、情熱に負けて許可したんですわ。展覧会 初日に行ってみたら、何にも言わん。震えて、青ざめて。今、考えてみたらすごい展覧会だったと思う。自分が出したいものを出す情熱っていうのは、オリジナリティだと思う。世界にそんな作家いないと思う。だから僕はすごいなぁと思ってる。自分で胸張ってやってたらええんや。俺なんかずっとそうやんか!誰も振り向きもせんかった。今になって、俺のこと、「前人未踏」 とか言って(笑)。
――年間 100 以上の展覧会を実現するそのバイタリティーはどこから来るのでしょうか?
堀尾 なんにも拘束されへんから。自由やから。「あたりまえのこと」っていうのは「自由ってことですよ。「自由」ってことはものすごいこと。それを本気でやっていかなあかん。ほんまのことやってたら、周りは磁石のようについてきますわ。そんなんをずーっと見てきた。具体も美術館から毛嫌いされてたのに、今や世界の具体ですよ。やっぱり真実は勝ちますよ。自分っていうのはひとつしかあらへんやんか。そのことを自分が高らかに言わんと、誰が言うてくれるんや! 1年に100回展覧会なんて、物理的にも時間的にも合いません。でも忙しいと、やることの本質がいつも見えるんですわ。一番大事なことがピッピッ自分のとこに入ってくる。 でも、迷ったら迷った方向に行きまっせ。だから迷わんことですわ。
聞き手・執筆 大瀬友美